第一次オイルショック(1973)—— 資源ショックの株価への効き方

1973年10月の第一次オイルショックは、過去のバブルとは性質が異なる。投機による暴騰・暴落ではなく、地政学を背景にした「外生的な資源価格の急騰」が、世界経済全体を揺さぶった事例だ。にもかかわらず、株式市場・債券市場・実体経済への打撃は、戦後最大級のドローダウンを残した。バブル崩壊だけが大きな下落を生むのではなく、「供給ショック」も同等以上のダメージをもたらしうる、という典型例として、今でも繰り返し参照される。

E4 では、この1973年のオイルショックを、原油価格・株価・物価・金利の動きから整理する。AS(総供給)曲線が左にシフトしたとき、市場がどう反応するか、という B シリーズで触れた話の、現実版でもある。

1973年10月 —— ヨム・キプール戦争と OPEC の決断

第一次オイルショックの直接的な引き金は、1973年10月6日に始まった第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)である。エジプト・シリアがイスラエルを攻撃し、米国がイスラエルへの軍事支援を開始した。これに対抗して、OPEC(石油輸出国機構)の中核を構成するアラブ諸国(OAPEC)が、次のような措置を打ち出した。

  • 1973年10月17日:OAPEC が、月次5%の段階的減産と、米・蘭への禁輸を発表
  • 1973年10月19日:原油公示価格を 約3.0ドル → 5.1ドル へ70%引き上げ
  • 1973年12月:再び引き上げ、5.1ドル → 11.65ドル(ピーク時 約4倍)
  • 1974年3月:禁輸の解除、ただし価格は11.65ドル前後で定着

5か月のうちに、原油価格が約4倍になった。これは、現代の指数で換算すると、原油100ドルが400ドルになるレベルの衝撃である。米国経済はもとより、原油を全量輸入していた日本・西欧諸国に、特に大きな打撃が走った。

株式市場のドローダウン

米国株は、すでに1973年初頭から弱含みだったところに、オイルショックが追い打ちをかけた形になった。主要指数の動きは次のようになっている。

  • S&P 500:1973年1月ピーク 120 → 1974年12月底 62(約 -48%)
  • ダウ工業株30種:1973年1月ピーク 1,051 → 1974年12月底 577(約 -45%)
  • 日経平均:1973年1月ピーク 5,360 → 1974年10月底 3,355(約 -37%)
  • FT30(英国):1972年5月ピーク 543 → 1975年1月底 146(約 -73%)

英国株が突出して下げているのは、当時のイングランドが「政府危機・三日労働制」と呼ばれた政治・労働危機にあり、エネルギー危機がそれに重なったためだ。米日も含め、戦後でこれだけのドローダウンが起きた局面は限られていて、後の1987年ブラックマンデー、2000年 IT バブル、2008年金融危機、2020年パンデミックと並ぶ規模になっている。

物価と金利の急変

株式市場の下落と並行して、物価と金利も劇的に動いた。米国の主要指標を並べると、ショックのスケールが見える。

  • 米国 CPI:1973年6%台 → 1974年12% → 1975年9%
  • 米国 10年債利回り:1972年6% → 1974年8%超
  • FF レート:1973年10% → 1974年13%へ上昇
  • 失業率:1973年4.9% → 1975年8.5%

これは、典型的なスタグフレーション(経済停滞+高インフレ)の数字だ。インフレと景気後退が同時に起きるため、中央銀行の金融政策に逃げ場がなくなる。インフレを抑えれば景気がさらに冷え込み、景気を支えればインフレが加速する、というジレンマだ。

FRB はインフレ抑制を優先してジリ高で利上げを続けたが、結果的に景気後退を深めることにもなった。後の1979〜1980年に第二次オイルショックが発生したときは、ボルカー議長が極端な利上げ(FF レートを20%まで)を行ってようやくインフレ抑制に成功する。1973年のショックは、後のボルカーショックを呼び込む土台となった。

セクター別のパフォーマンス差

オイルショック局面で、セクター間のリターン差は極端に開いた。

  • エネルギー:原油価格高騰で、エクソン、シェル、BP などが相対的に強い
  • 金属・鉱業:原材料価格上昇で堅調
  • 金:1973年65ドル → 1975年185ドル(約3倍)。資源・インフレヘッジとして急騰
  • 消費財:コスト上昇+消費低迷で打撃
  • 自動車:燃費規制への対応遅れで大打撃。GM、フォード、クライスラーが軒並み苦戦
  • 航空:燃料費高騰で利益が消失
  • 銀行・金融:金利上昇で一部恩恵、企業破綻で貸倒れ拡大

このセクターローテーションは、現代の「スタグフレーション・ヘッジ」のテンプレートになっている。コモディティ・エネルギー・金がインフレヘッジとして機能し、長期債と消費循環株が打撃を受ける、という構図は、2022年のロシア・ウクライナ戦争を契機としたエネルギー危機局面でも、ほぼ同じ形で再現された。

新興国・産油国へのインパクト

原油価格上昇は、産油国に莫大な「オイルマネー」をもたらした。1973〜1974年だけで、OPEC 加盟国の貿易黒字は約700億ドル(当時の世界 GDP の約1〜2%相当)に達した。このオイルマネーは欧米の銀行に大量に預託され、1970年代後半から1980年代初頭にかけて、新興国(特にラテンアメリカ)への大量融資に流れた。

  • 1970年代後半:ブラジル、メキシコ、アルゼンチンなどがオイルマネーで巨額融資を受け、経済拡大
  • 1979年:第二次オイルショック、米国の利上げ
  • 1982年:メキシコの債務支払い停止宣言、ラテンアメリカ債務危機の始まり
  • 1980年代:新興国が「失われた10年」を経験

1970年代のオイルショックは、産油国に短期的な富をもたらした一方で、リサイクルされたオイルマネーが新興国融資バブルを生み、最終的にラテンアメリカ債務危機につながった。1つの資源ショックが、長く尾を引く形で世界経済の構造を変えていった事例といえる。

株式市場の回復経路

オイルショックを起点とした下げ相場の回復は、米国株で約7年(1980年初頭まで)かかった。

  • S&P 500:1973年1月ピーク 120 → 1974年12月底 62 → 1980年7月にようやく120を回復
  • FT30(英国):1972年5月ピーク 543 → 1979年5月にようやく回復
  • 日経平均:1973年1月ピーク 5,360 → 1978年に回復

これだけの長期間にわたる回復遅延は、IT バブル後(1999〜2007年で約7年)や金融危機後(2007〜2013年で約6年)と並ぶ規模だ。「資源ショック起点の弱気相場」も、バブル崩壊型と同等の長期影響を持ち、ドルコスト平均で淡々と買い続ける投資家にとってはむしろ蓄積期となる、という構造は変わらない。

個人投資家への教訓

オイルショックから現代の投資家が引き出せる、実用的な教訓は次の通り。

  1. 外生的なショック(戦争、パンデミック、地政学)は、株式市場に対するリスク管理の文脈で、内生的なバブル崩壊と同等以上の影響を持つ
  2. コモディティ・エネルギーセクター・金は、インフレ局面のポートフォリオに少量組み込んでおく価値がある
  3. 長期債は、スタグフレーション局面では強烈な打撃を受ける。インフレ感度の高い銘柄構成にしすぎない
  4. 新興国の「ブーム」が、先進国側の流動性に強く依存していることを、構造として知っておく
  5. 回復に7年かかる弱気相場は、再現されうる。20年単位の長期投資家にとっては、どれもが買い場になる

次回は E シリーズの締めくくりとして、現在進行形の「エブリシング・バブル」について整理する。株、債券、不動産、暗号資産、AI 関連株が同時に高水準にある現代の状況を、過去のバブルと並べて比較し、複数のシナリオを提示してみたい。


画像クレジット: Jan Zakelj 氏(Pexels)/Pexelsライセンス(商用利用可、帰属表示義務なし)

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