ここからしばらく、マクロ経済の基本的な道具を整理していきたいです。最初に押さえておくと強いのが、「総需要」と「総供給」という2本の曲線です。景気・物価・金利のほとんどの動きは、この2つの曲線がどう動いたかを考えれば、少なくともストーリーとしては説明できます。
専門的な教科書の AD-AS モデルは細かい数式とともに書かれていることが多いが、投資家として必要なのは式そのものではなく、「何が動くと何が引っ張られるのか」という因果の感覚です。今回は、図を頭の中に描けるように整理し、現実の経済ショックがどう当てはまるかを眺めていきたいです。
総需要(AD)曲線 —— 国全体で「買いたい量」
総需要(Aggregate Demand、AD)は、ある一定の期間に、その国の経済主体(家計・企業・政府・海外)が買おうとするモノとサービスの合計量を表します。GDP の支出面を足し上げたもの、と考えるとよいです。
GDP の支出側の恒等式は、教科書的には次のように書かれます。
GDP = C(消費)+ I(投資)+ G(政府支出)+ NX(純輸出)
総需要曲線は、縦軸に物価水準、横軸に生産量(GDP)をとったときに、「物価が下がれば総需要は増える」という右下がりの曲線として描かれます。物価低下が実質所得を増やし、金利を引き下げ、輸出競争力を高めるといった、いくつかの経路でこの関係が生まれます。
総需要曲線が右に動く(同じ物価水準でも需要が増える)のは、典型的には次のような場合です。
- 財政支出が増える、減税される(G・C の増加)
- 金融緩和で金利が下がる(C・I の増加)
- 海外経済が好調で輸出が伸びる(NX の増加)
- 為替が自国通貨安方向に動く(NX の増加)
- 消費者マインド・企業マインドが改善します
逆に、増税や金融引き締め、海外減速、通貨高などは、総需要曲線を左にシフトさせます。
総供給(AS)曲線 —— 国全体で「売れる量」
総供給(Aggregate Supply、AS)は、その国の経済がある物価水準のもとで供給できる生産量を表します。ざっくり言えば、「労働+資本+技術」の組み合わせで、ある時点に最大どれだけ作れるか、という能力側の曲線です。
AS 曲線は、短期と長期で形が違うと考えるのが教科書的だが、ここでは短期 AS だけ押さえます。短期の AS 曲線は、縦軸の物価水準と横軸の生産量について右上がりに描かれます。「物価が上がれば供給量が増える」という関係は、企業が物価上昇に対して生産量を増やす動機(売値が上がるので収益が増える)から生まれます。
総供給曲線が右に動く(同じ物価水準で供給力が増える)のは、次のような場合です。
- 労働力人口が増えます
- 資本ストックが増える(設備投資、インフラ投資)
- 技術進歩で生産性が上がります
- エネルギーや原材料の価格が下がります
- 規制緩和で生産効率が改善します
逆に、原油価格の急騰、人手不足、自然災害、サプライチェーン寸断などは、短期の AS 曲線を左にシフトさせます。
AD と AS の交点で「景気」と「物価」が同時に決まる
総需要と総供給の2本の曲線を同じ図に描くと、交点で均衡する物価水準と生産量(GDP)が決まります。これが「景気」と「インフレ率」の両方を一度に説明する、マクロ経済の標準的な道具です。
曲線のシフトによって、起きる現象が次のように整理できます。
- AD が右シフト(需要拡大):GDP 上昇、物価上昇 → 好景気+インフレ
- AD が左シフト(需要縮小):GDP 下落、物価下落 → 不景気+デフレ
- AS が右シフト(供給拡大):GDP 上昇、物価下落 → 好景気+物価安定
- AS が左シフト(供給縮小):GDP 下落、物価上昇 → 不景気+インフレ(=スタグフレーション)
このうち、「GDP と物価が逆方向」に動くケース(3つ目と4つ目)が、AS 側のシフトで起きます。1973年のオイルショック、2020年のパンデミック初期、2022年のウクライナ侵攻直後のエネルギー価格急騰などは、この AS 左シフトがきれいに効いた局面です。
政策はどちらを動かしているのか
中央銀行と政府が取る政策のほとんどは、AD 側を動かす政策です。
- 金融政策(利下げ・利上げ、量的緩和・縮小):C・I を通じて AD を動かします
- 財政政策(減税・増税、公共投資):G・C を通じて AD を動かします
- 為替政策:NX を通じて AD を動かします
一方で、AS 側を動かすには時間がかかります。教育、インフラ、規制緩和、技術開発、移民政策といった「構造改革」のカテゴリが、長期的に AS を右にシフトさせる主な手段です。AS 側への政策は、効き始めるのに数年から10年単位の時間を要するため、短期の景気対応には使いにくいです。
この非対称性のため、ショックが AS 側から来た(スタグフレーション的な局面)場合、中央銀行の手札はかなり限られます。金利を上げれば物価は抑えられるが景気はさらに冷えます。金利を下げれば景気は支えられるが物価はさらに上がる、というトレードオフに直面します。
投資家としての使い方
AD-AS の図は、投資判断に直接数字として出てくるものではないが、「いま起きている現象は AD 側なのか AS 側なのか」を判別するだけでも、ポジションの組み方がかなり違ってきます。
- AD 右シフト局面:景気敏感株・消費関連・金融株が伸びやすいです。金利上昇圧力に注意
- AD 左シフト局面:ディフェンシブ株・生活必需品・ヘルスケアが相対的に強いです。債券も魅力が増します
- AS 右シフト局面:テクノロジー・生産性向上の恩恵を受ける株が中長期で伸びます。物価安定で債券にもプラス
- AS 左シフト局面:エネルギー・コモディティ・金の相対優位。ただしグロース株と長期債は同時に苦しみます
特に「AS 左シフト=スタグフレーション」局面への備えは、ポートフォリオにコモディティ関連の資産を少量組み込んでおく、という形で現実的に効かせることができます。この局面は稀だが、起きたときには他のすべての資産クラスが同時に下落するため、ヘッジとしての意味が大きいです。
次回は、AD-AS のうち「物価」を測る具体的な統計を取り上げたいです。CPI と GDP デフレーターは似て非なる物価指標で、使う局面と読み方がかなり違います。この2つをきれいに使い分けられるようになると、物価ニュースの見え方が変わります。
画像クレジット: Tiger Lily 氏(Pexels)/Pexelsライセンス(商用利用可、帰属表示義務なし)

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