経済統計に潜む3つの落とし穴 —— 数字を信じる前に確認すべきこと

マクロ経済の議論には、必ず数字がついて回る。GDP 成長率が 5%、失業率が 3.6%、インフレ率が 2.4%、というふうに、議論はいつの間にか数字の比較で進む。だが、こうした数字は、想像以上に「定義」と「集計方法」と「改定」に振り回されている。「同じ単語の数字でも、別物を比較していた」というのは、新興国データを扱うとあちこちで遭遇する状況だ。

B シリーズの締めくくりとして、経済統計を読むときに特に注意したい3つの落とし穴を整理しておきたい。新興国の数字を扱うときには、どれもひとつずつ意識しておきたい論点ばかりだ。

落とし穴その1 —— 名目と実質の取り違え

もっとも基本的でありながら、もっとも頻繁に発生するのが、名目値と実質値の取り違えだ。名目(Nominal)はその時点の物価で測った数字、実質(Real)は基準時点の物価に置き換えて物価変動の影響を取り除いた数字を指す。インフレ率が高い国では、両者が劇的に乖離する。

たとえば、ある国の名目 GDP 成長率が15%だったとする。これを聞いて「すごい好景気だ」と判断するのは早い。インフレ率が12%だったとすれば、実質成長率はわずか3%程度ということになる。トルコ、アルゼンチン、ベネズエラなどの高インフレ国は、まさにこのパターンで、名目値で見れば派手な数字が出るが、実質ベースでは経済が縮小していることすらある。

  • 名目 GDP 成長率:物価上昇+実質成長
  • 名目賃金上昇率:物価上昇+実質賃金上昇
  • 名目株価リターン:インフレ+実質リターン
  • 名目利回り:インフレ期待+実質利回り

「名目」と書いていない数字を見たら、必ず「これは実質か名目か」を確認する習慣を持っておきたい。新興国 ETF や新興国債券のリターンも、現地通貨建ての名目リターンを見ているのか、ドル換算の名目リターンを見ているのか、実質ベースで見ているのかで、結論はまるで違ってくる。

落とし穴その2 —— 比較対象がそもそも違う

2つ目の落とし穴は、「同じ名前の数字なのに、定義が国・時期で違う」というケースだ。新興国の経済統計を、先進国の感覚で読もうとすると、しばしばここで足をすくわれる。

  • 失業率の定義:日本は「過去1週間に求職活動をした失業者」、米国は「過去4週間に求職活動」、新興国の中には「過去6カ月に求職活動」を採るところもある。インフォーマル労働者の扱いも国ごとに違うため、新興国の失業率3〜5%はしばしば「公式に低く見える」だけ
  • GDP の購買力平価換算:為替レート換算と購買力平価(PPP)換算で、新興国の GDP は2〜3倍の差がつくことがある
  • 消費者物価指数のバスケット構成:先進国はサービス比率が高く、新興国は食料・エネルギー比率が高い。同じ CPI 上昇率でも、家計に与えるインパクトが違う
  • 住宅価格の指数:新築のみ、既存物件のみ、両方を合算、と国・地域で異なる
  • 政府債務の対 GDP 比率:地方政府・中央政府・公的企業をどこまで含めるかで、5〜20%ポイント変動する(中国、インドの議論で典型的)

新興国比較レポートの数字を真に受ける前に、データソースの注釈(footnote)を読む習慣をつけたい。同じ「失業率」でも、ILO 基準と国内基準では1〜2%ポイントは平気でずれる。「比較しているつもりで、別物を比較していた」というのは、数字の世界では珍しくない。

落とし穴その3 —— 改定で景色が変わる

経済統計は、発表された瞬間が確定値ではない。多くの場合、翌月・翌四半期・翌年と、複数回にわたって改定される。改定幅が大きいと、初回発表時の解釈と最終確定値の間で、結論がひっくり返ることがある。

  • GDP の改定:日本の四半期 GDP は、一次速報、二次速報、確報、と3回改定される。前期比年率で1〜2%ポイントの幅が出ることはざら
  • 米国 NFP の年次改定:2024年3月の改訂で、12カ月分の合計雇用者数が80万人以上下方修正された
  • 中国の経済統計:地方政府の数字を中央が再集計した結果、過去の GDP 水準が下方修正されることがある
  • 新興国のインフレ率:基準年バスケットの見直しで、過去の数字が部分的に再計算される

速報値で動いた市場は、確定値が出るころには次のニュースに移っている。だが投資家として大事なのは、「いま見ている数字は、初回発表か改定後か」をきちんと意識しておくことだ。長期的な経済トレンドを判断するときは、改定後のデータで構成された3〜5年単位の系列を見るのが正攻法である。

新興国データに固有の追加リスク

上の3つの落とし穴に加えて、新興国の経済統計には次のような固有のリスクがある。

  1. 政治的介入:政府が公式統計を意図的に低く見せる/高く見せるケース(アルゼンチンの2007年〜2015年の CPI が代表例)
  2. インフォーマル経済の扱い:露店、未登録の労働者、農村部の自給自足生産が、GDP や雇用統計に十分反映されていない
  3. データ更新頻度の遅さ:四半期 GDP の発表まで6カ月以上かかる国もあり、リアルタイムの判断が難しい
  4. 調査範囲の不均一:都市部のみ、特定州のみのデータが「全国データ」として流通することがある
  5. 為替レートの選択:公式レート、並行市場レート、ブラックマーケットレートのどれを使うかで、ドル換算の数字が大きく変わる(ベネズエラ、アルゼンチン、ナイジェリアで顕著)

新興国の数字を扱うときには、「公式統計の数字+複数の独立系シンクタンク・民間調査の数字」を並べて見る、という姿勢を取りたい。Bloomberg や IMF の経済データだけでなく、PMI(購買担当者景気指数)、衛星画像から推定した経済活動指標、電力消費データ、輸出入データなど、複数の側面から景気を読む方法を組み合わせると、誤読リスクが下がる。

数字に強くなるための日常習慣

経済統計を投資に活かすために、最後にいくつかの実用的な習慣を挙げておく。

  1. 初めて見る指標は、必ず定義と算出方法を1度は確認する
  2. 新興国の数字は、ドル換算と現地通貨建ての両方で見る
  3. 名目/実質の区別を、まず最初にチェックする
  4. 速報値より、3カ月移動平均や前年比トレンドを優先する
  5. 同一指標を複数のソース(IMF、世界銀行、現地中央銀行)で照合する
  6. 政治的にセンシティブな数字(失業率、GDP、CPI)は、独立系の推計値も並べる

経済ニュースには、毎日のように新しい数字が登場する。すべてを覚える必要はないが、「定義」「比較対象」「改定リスク」の3つだけは、どの数字を見るときにも頭の片隅に置いておきたい。これだけで、ニュースに振り回される回数が確実に減る。

B シリーズはこれでひと区切りとする。総需要・総供給からはじまって、物価指標、労働生産性、外貨準備、輸出主導成長、統計の落とし穴まで、マクロ経済の道具箱を一通り並べてきた。次回からは C シリーズに移り、株式の「バリュエーション」を扱っていきたい。PER、PBR、配当利回り、PEG といった指標を、新興国投資に紐づけて使い分ける視点を整理する予定である。


画像クレジット: RDNE Stock project(Pexels)/Pexelsライセンス(商用利用可、帰属表示義務なし)

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