株式投資をしばらくやっていると、誰もが一度は「ここから下げそうだから現金にしておこう」「ここから上げそうだから一気に買い増そう」という考えに惹かれる。マーケットタイミングへの欲求は、人間として自然なものだ。だが、その欲求がポートフォリオに与える影響は、歴史を振り返ると、想像以上に大きく、しかも大半の場合マイナス側に傾いている。
D シリーズの締めくくりとして、マーケットタイミングを試みた場合の定量的なコストを見ていきたい。「ベストの数日を逃すと長期リターンがどれだけ減るか」という単純な計算が、なぜプロも個人も「タイミングではなく時間」と口を揃えて言うのかを、数字で示してくれる。
「ベストの10日」を逃したときのリターン低下
マーケットタイミング論争で必ず引かれるのが、「ベストの何日を逃したか」というシミュレーションだ。J.P. モルガン・アセット・マネジメントが毎年公表している有名な分析では、1995〜2024年の S&P 500 のリターンが次のような結果になる。
- 常にフル投資した場合:年率約8.0%、累計約9.7倍
- ベストの10日を逃した場合:年率約4.0%、累計約3.2倍
- ベストの20日を逃した場合:年率約1.5%、累計約1.5倍
- ベストの30日を逃した場合:年率約 -0.6%、累計約0.85倍(元本割れ)
- ベストの50日を逃した場合:年率約 -3.8%、累計約0.30倍
30年間で「7,500営業日」のうち、たった10日を逃すだけで、最終資産は約1/3になる。50日を逃すと、ほぼ消滅する。市場の長期リターンの大半は、ごく少数の上昇日に集中している、ということだ。
ベストの日とワーストの日は近接する
もう一つの見落とされがちな事実が、「ベストの日」と「ワーストの日」が、極めて近接して発生する、ということだ。同じ JP モルガンのデータでは、過去30年でベスト10日のうち7日が、ワースト10日の前後2週間以内に発生している。
具体的に挙げると:
- 2008年10月13日(+11.6%、ベスト2位):その翌日が-9.0%、6日前が-7.6%
- 2008年10月28日(+10.8%、ベスト3位):その10日後が-7.5%
- 2020年3月13日(+9.3%、ベスト10位):その3日後が-12.0%(ワースト1位)
- 2020年3月24日(+9.4%、ベスト9位):パンデミック暴落の最中
つまり、ベストの日は、暴落のさなかや暴落直後に発生している。「下げているから売って様子を見よう」と考えた人ほど、その直後の急反発(ベストの日)を取り逃がしている。マーケットタイミングが極端に難しいのは、暴落と急反発が時間的に近接しているからだ。
市場予想の精度を測る
マーケットタイミングが難しい根本原因の一つが、市場の予想精度がそもそも低い、という点にある。CXO Advisory Group の長期検証では、米国の著名ストラテジスト(ピーター・シフ、マーク・ファーバー、アビー・コーエン、ジム・クレイマーなど68名)の市場予測の正答率を1999〜2012年で集計した結果、平均は約47%、中央値は46%だった。コインを投げて50%なので、予測の的中率は実質「ランダム以下」である。
機関投資家による株価指数の年間予想(S&P 500 の年末値予想)も、毎年12月に翌年の予想値が公表されるが、実際の年末値との誤差は平均で20%近く外れる。これは、予想が「過去のトレンドの延長」になりがちで、暴落・急騰のような大きな転換点を予想できないことが原因だ。
- 2008年:年初予想は+8%程度、実績は-38%
- 2020年:年初予想は+6%、実績は+16%(途中で-34%の暴落あり)
- 2022年:年初予想は+8%、実績は-19%
- 2023年:年初予想は弱気が大半、実績は+24%
過去のデータを見れば、「一流のプロの予想ですら半分以下しか当たらない」というのは明確で、そのプロの予想を聞いて自分のポジションを動かすことに、合理的な根拠を見出すのは難しい。
長期リターンの源泉は「複利の時間」
マーケットタイミングが効かない一方で、「市場に居続けること(time in market)」は強烈に効く。たとえば、年率8%の複利で30年運用した場合、初期投資100万円は約1,006万円になる。ところが同じ30年でも、最初の10年を市場の外で過ごし、20年だけ運用した場合、最終的な資産は約466万円にとどまる。
- 30年フル運用:100万 → 1,006万円
- 20年運用+10年現金:100万 → 466万円
- 10年運用+20年現金:100万 → 216万円
運用期間が10年違うだけで、複利効果による最終資産は2倍近くの差がつく。マーケットタイミングを試みて、年率1〜2%のアルファを狙うより、運用を1日でも長く継続するほうが、はるかに大きなリターンを生む構造になっている。
新興国投資とマーケットタイミング
新興国市場は、先進国に比べてボラティリティが大きく、マーケットタイミングへの誘惑も大きい。実際、新興国指数は5年単位で見ると、+50%〜-30% といった大きな振れがある。「安いときに買って高いときに売れれば、リターンは大幅に向上する」という直感は、新興国でこそ強くなる。
ただし、新興国でもタイミングの難しさは変わらない。MSCI EM 指数で過去20年のベストの10日を逃した場合、年率リターンは約-2%まで低下し、ほぼ無リターンとなる。新興国はリターンが大きい分、ベスト・ワーストのインパクトも先進国より大きく、タイミングを外したときのコストが厳しい。
新興国に対するアプローチとして実用的なのは、次のような姿勢だ。
- コア部分は ACWI または先進国+新興国の時価総額加重で、常時保有
- サテライト部分でのみ、CAPE などのバリュエーション指標で「割安な国」を傾斜配分
- 暴落時には買い増し(資金があれば)、暴騰時には新規買いを抑える、という穏やかなコントラリアン姿勢
- 「全部売って様子を見る」「フルレバで突っ込む」といった極端なポジション操作は避ける
マーケットタイミングが効く例外
とはいえ、まったくタイミングを意識しなくてよいかというと、そうでもない。歴史的に見て、特定の局面では「リスク資産の比率を抑える」「キャッシュ比率を高める」が有効だった、という研究もある。代表的なのは次のような局面だ。
- CAPE が30倍超の歴史的高水準(過去140年で稀)
- イールドカーブが深く逆イールド(リセッション接近)
- クレジットスプレッドの急拡大(金融ストレス)
- マネーサプライ伸び率がマイナスに転換(2023年型)
これらが複数同時に点灯した場合、「現金比率を平時より高める」「レバレッジを使わない」程度の調整は合理的だ。だが「全力売却」や「全力買い」のような極端なポジション変更は、複合シグナルが揃った場面でも勧められない。せいぜい、株式比率を80% から60% に下げる、といった穏やかな調整にとどめるのが現実的な落とし所である。
「するな」ではなく「やりすぎない」
マーケットタイミングを完全に否定するのではなく、「やるなら程度を抑える」というのが、長期投資家の知恵だ。ジョン・ボーグルが「私は決してマーケットタイミングをしないが、もし試みるとしても、最大±20%程度の調整にとどめる」と語っていた逸話がある。これが、現実的な妥協点に近い。
「相場を当てる」という行為は、知的には魅力的で、当たれば気持ちがよい。だが30年単位で見ると、当てた時のリターンよりも、外したときのコストのほうが圧倒的に大きい。ボラティリティが大きい局面ほど、「時間を味方につける」基本姿勢を維持することが、結局はリターンを最大化する。
D シリーズはこれで一区切りとする。Loser’s game、生存者バイアス、群集心理と再帰性、マーケットタイミング、と4本の柱を並べた。投資家の認知の癖を知っておくだけで、相場の上下動に振り回される頻度が格段に減る。次回からは E シリーズに移り、過去のバブルの歴史を時系列で並べていきたい。チューリップマニアからドットコム、エブリシングバブルまで、人間の集合的な狂気のパターンが、いかに繰り返されてきたかを順に整理する予定である。
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