株式投資には「勝ち負け」のメタファーがよく使われる。ベンチマークに勝った、市場に負けた、という言い方を毎日のように耳にする。だが、この勝ち負けの中身を本気で分析していくと、株式投資は「上手なプレーで勝つゲーム」ではなく、「下手なプレーをしないことで負けないゲーム」である、という結論に行き着く。これがチャールズ・エリスの古典的著作で広く知られるようになった「Loser’s game」の発想だ。
D シリーズの最初として、この一見シンプルだが強力な視点を整理しておきたい。投資家が陥りやすい行動パターンの多くは、この発想を内面化することで未然に避けられる。
テニスのアマチュアとプロの違い
エリスは1975年の論文 “The Loser’s Game” で、テニスのアマチュアとプロの試合のメカニズムを比較した。プロの試合では、勝者は「決めにいったショット」で点を取る。アマチュアの試合では、勝者は「相手のミスで」点を取る。ある研究では、プロの試合の80%は「勝者のショット(Winner’s points)」で決着し、アマチュアの試合の80%は「敗者のミス(Loser’s points)」で決着する、というデータが示された。
エリスはこの発想を株式市場に持ち込んで、こう論じた。1950〜60年代までは、株式市場のプロは情報優位を活かして「勝ちにいくショット」で稼げた。だが1970年代以降、機関投資家比率が80%を超えて、誰もが同じレベルで情報を持つようになると、市場は「ミスをしたほうが負けるゲーム」に変質した。これが Loser’s game の本質である。
市場の「プロ化」と Loser’s game の浸透
米国市場の機関投資家比率は、1950年代の約10%から、現在では約80%超に達している。これは、市場参加者の大半が、博士号レベルのアナリスト・運用者を抱える機関であり、リアルタイムで情報を処理しているということを意味する。
このような環境では、個人投資家が「アクティブに市場を打ち負かす」ことは構造的に難しい。S&P 500 を5年・10年スパンでアウトパフォームしているアクティブファンドの比率は、データソースによって幅があるが、概ね10〜30%程度にとどまる。年単位ではもっとブレるが、長期の比較ではほとんどのアクティブファンドがインデックスに敗ける、というのが定量的な事実だ。
したがって、個人投資家にとっての「勝つ」戦略は、自分の運用スキルでプロを打ち負かす、という方向ではなく、「市場全体の平均リターンを、ノイズ少なく取りに行く」方向にある。これが Loser’s game への適応戦略である。
負けないための4つの基本姿勢
Loser’s game の発想を投資行動に落とし込むと、次の4つの基本姿勢に集約される。
- 低コスト:信託報酬・売買手数料・税金を最小化する。年率1%のコスト差は、30年で30%以上のリターン差になる
- 分散:地域・業種・銘柄数を十分に広げ、特定銘柄の致命傷を避ける
- 長期保有:頻繁な売買はミスのチャンスを増やす。インデックスを20年単位で持ち続ける
- 感情の制御:暴落時に売らない、急騰時に追わない
この4つを守るだけで、機関投資家の半分以上のパフォーマンスを上回ることができる。実際、ジョン・ボーグル(バンガード創業者)が1976年に世界初のインデックスファンドを設定して以来、世界の運用資産がパッシブ運用に流れている背景には、この Loser’s game の論理がある。
「入金力」というもう一つのレバー
Loser’s game の発想で見ると、運用リターン(%)よりも、はるかに大きな効果を持つレバーが「入金力」である。
- 年間100万円を運用、年率5%リターン → 30年後に約6,640万円
- 年間50万円を運用、年率10%リターン → 30年後に約8,210万円
- 年間100万円を運用、年率10%リターン → 30年後に約1.64億円
運用利回りを5%から10%に倍にするのは至難の業だが、毎月の積立額を倍にするのは、本人の所得・支出構造の調整で達成できる。実は、長期の資産形成において、運用スキルよりも「入金力」のほうが、はるかにコントロールしやすく、影響が大きい。
個別銘柄を必死に研究して年率2%のアルファを目指すのも一つの選択だが、それよりは本業のキャリアを伸ばして年収を上げるほうが、長期的にははるかに大きなリターンを生む。Loser’s game の論理は、投資の世界の外へも応用が効く。
個人投資家が陥りやすい「ミス」のパターン
Loser’s game で言う「ミス」を、具体的に列挙しておくと、次のような行動が該当する。
- 暴落時にパニック売り(過去の暴落で売り抜けた人の多くが、その後の回復に乗れていない)
- 急騰銘柄に終盤で乗る(FOMO = Fear of Missing Out による高値掴み)
- レバレッジ ETF・信用買いで、想定外の下落で強制ロスカット
- テーマ型 ETF を高値で買い、ブームが去った後に塩漬け
- SNS の煽り情報を信じて、未調査の銘柄に集中投資
- 確定利益を急いで取り、含み損を放置(プロスペクト理論の罠)
- 短期トレードで税負担と取引コストを膨らませる
これらのミスは、投資の知識量とはあまり相関しない。むしろ、市場参加歴が長い投資家でも、感情的に動揺した瞬間に同じミスを繰り返してしまうのが現実だ。だからこそ、「事前に決めたルールを守る」「感情で動かない仕組みを作る」ことが、Loser’s game の世界では決定的に効いてくる。
新興国投資への応用
新興国投資は、先進国に比べて Loser’s game の傾向が薄く、Winner’s game の余地が残っている、というのが正直な実態だ。理由としては次のような点がある。
- 機関投資家比率が低く、現地個人投資家の比率が高い(インド、ベトナム、フィリピンなど)
- アナリストカバレッジが少ない中小型株が多い
- 会計開示の質に差があり、情報優位が成立しやすい
- マクロイベントの影響を受けやすく、感情的な乱高下が起きる
ただし、これは「新興国ならアクティブで勝てる」という意味ではない。新興国でも、長期で見ればインデックスを安定的に上回るアクティブ運用は希少だ。むしろ、「Winner’s game の余地が残っているからこそ、入念な銘柄選定とリスク管理ができれば、超過リターンの源泉が見つかる」と捉えるほうが実態に近い。
個人投資家として、新興国に Winner’s game の余地を求めるなら、それはサテライト枠で行うべきで、コアはインデックス(先進国+新興国時価総額加重)で組むのが王道である。Loser’s game の発想は、コア部分での負けを未然に防ぐための、強力な保険となる。
勝つために動くのではなく、負けないために動く。この発想を内面化できると、ニュースに振り回されず、長期で淡々と資産を積み上げられる。次回は、Loser’s game と並んでもう一つ重要な認知バイアスである「生存者バイアス」を取り上げる。「成功者の声」だけを聞くと判断を誤る、というシンプルだが見落とされがちな盲点について整理したい。
画像クレジット: Payam Zolfagharian 氏(Pexels)/Pexelsライセンス(商用利用可、帰属表示義務なし)

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